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2010年12月

2010年12月31日 (金)

大晦日

オトナになって初めて飲み会無しの12月を過ごしたような気がする。


父が倒れてすぐにウチの商売をやめた。


忘年会もない、電話も来客も少ない、大掃除も餅つきもない師走。


毎年追われるようにやっていたことだけど、やってもやらなくても正月はくるってわかった。


静かな年末。


でも昨日、次兄か帰省した。


今日はたぶん長兄一家が帰省する。


今、風がものすごいけど、天気予報は雪って言うけど、大丈夫かしら?


ちょっとはにぎやかになるかしら?


ちょっとは父にも笑顔が戻るかしら?

お正月、家族揃って迎えることができる。


もう、それだけでよしとしよう。


明日は正月。


皆さん、よいお年をお迎え下さい。


おやすみなさい。

2010年12月27日 (月)

気功師現る

退院後(わたしのことである。)、2週間くらいたってからだったかな?肩こりがひどくなり、頭の筋肉を切ってるから痛みはしょうがないんだろうな~くらいにしか思っていなかったので、そのままにしておいたら、どうにもこうにもならなくなった。夜、眠っていても痛みで目が覚めるという状態になった。

そんな中、うちの長兄の友人から、「おいはぎっくり腰になったどん、とある気功師?整体師?から施術を受けたら一発でよくなったど」と聞いたので、その人を通じて、私にも施術をしてくださるようお願いした。

間にその長兄の友人が入って、日程の調整をしてくれていたのだが、どうも遠隔もやっちゃう人らしく、生年月日と私のフルネームを聞いて、私の場合は早い方がいいってことになり、しかも出張なんてほとんどしないらしいのだが、遠方からわざわざ自宅までやってきてくれた。

なんだかまゆつばものだなぁ~と思いつつ、でも年の瀬押し迫りわざわざやってくるってことはわたしは相当ひどいのか?とも思ったりで、半信半疑だったが、話を聞いてみると、完全に精神世界だった。

カウンセリングを受けた後で施術となった。

カウンセリングという名は付いていたが、傾聴ではなく逆に先生からの喝入れみたいなもので、相当言われた。言われ過ぎて最終的に何がなんだかよくわからなくなったが、ちょっとまとめとこうと思って書いている。

 

私のこの痛みの元はストレスからくるものだと。

要は私の性格からもたらされているもので、素直に生きないと、このままじゃますます大きな病気を引き起こすだろう。

なんでも合理的にやろうとするタイプだけど、結局無駄が多い。知識ばかりが多い。頑固である。仕事面ではまじめとしてでるんだけど、こだわりがありすぎる。今まで同じ過ちを何度も繰り返してきている。結局なんでも他人のせいにする。

まー言われる言われる。・・・当たってるけどね。

 

でも、なんだか聞いてた話と全然違うぞ・・・。雲行きがかなりあやしいぞ・・・。おいおい。

 

色々言われ過ぎて泣きそうになったが、内心「誰が泣くか」と思ってた。たぶん、これがあたしの頑固な部分。自分でもわかってる。

弱い面を他人に絶対見せたくない。家族にすら、というより家族に一番見せたくない。

私が一番安心して本音言えるのは、誰なんだろうね?ふっと思った。

 

「あなたは何がしたいの?」

「あなたの人生はあなた自身のもので、あなたが決めていくもんで、こちらがどうのと言えるもんじゃない」

そりゃわかってるよ。わかってるけど、身動きとれない自分がいるのよ。

今はますます身動きとれづらくなったとも思ったりする。

結局、あたしは卑屈な人間だとも思うよ。いい子になりすぎてる部分があると思うし。(子っていうのも40過ぎてじゃありえないけどさー)

父親見てると思う。この人もなるべくしてこの病気になったんだろうと。一番似てるのあたしだもん。

至らん気を使って、自分だけイライラして、自分の中にため込んで行く。自分が何したいのか自分自身で全然わかってない。

 

「人と交わりなさい」 そう言われた。

今はそれさえ苦痛だったりするのに?

したいことは素直にしたいと、したくないことは素直にしたくないと口に出していいよと言ったくせに?

 

組織、忍耐、秩序、あとなんだったけ?来年のキーワード。録音しときゃーよかったな。財産も失うみたいなこと言ってなかったけか?あんまいいこと言われなかった。

けちょんけちょんだったよ。

あたしって、価値ない人間?え???

 

自分らしく生きるって、こんな頑固なあたしも、全部ひっくるめてあたしじゃねぇかい、おやっさん?

それを認めてないと言われるとどうしようもないぜ?

  

・・・・・・ 

 

なんだかごちゃごちゃしながらカウンセリングは終わり、施術となった。

施術は最初に足の腹の上に乗って体をやわらかくするらしく、乗られたら痛いけど、わめくほどじゃなかった。それからは気の流れにそって、ツボみたいなところを次々押してって、痛いところを確認して、痛いところのツボを押して、「うっ、うっ」とか言っていた。

悪い気を私の中から吸い取って、吐き出す作業らしい。

下半身から上半身、痛みをとる作業が続いた。

施術中、「神社とかよく行きますか?」と聞かれたので、「休職中なので、体力を戻すために、近くの神社まで散歩していたりします。」と答えた。どうやらそんなんも見えるらしい。

 

長兄の友人は施術中、「わけわからんことをされて、紹介してくれた人にやかましゅう言わんといかん」と思ったらしい。終わって「はい、立ってください」と言われて、「立てるわけないでしょう?」と思いながら立ったら、嘘みたいに立てたらしい・・・。

私もまずは痛みがなくなることを期待して受けたけれど、確かに軽くはなったが、嘘のように痛みが取れたというわけではなかった。

師曰く、「あの方(長兄の友人)は単純な方ですから、あなたの痛みの質とは違います。」

 

あたしって一体・・・。

というか、「単純」といわれる長兄の友人も一体・・・?

 

今夜、ぐっすり眠れるかしらねー。眠れるといいわー。

 

楽しいと思えることをやんなさいと言われても、世の中楽しいことばっかりじゃないでしょ?

仕事楽しくないからって辞めるわけいかないしさー。

介護も辛いからって投げ出すわけにはいかないしさー。

あたしの好きなことと言ったら、旅行とか、コンサートとか、温泉とか、ショッピングとか、飲み会とか、そんなだらけたことばっかだしさー。そればっかじゃ破産するわよ、あーた。

働いて、お金貯めて、それ使ってこそ経済は循環していくんじゃない?

それをやってて、なんで病気すんのよ、あたしの性格そんなに悪いの?って思っちゃうじゃない?

 

なんか、これ読んでくれてるあなた、いいアドバイスあったらください。

あたしはおかしいけ?

2010年12月25日 (土)

ミスチルツアー、予約完了

おほほほほー。ミスチルツアーの予約完了だでよ。

2月26日、27日に福岡マリンメッセにて開催。既に27日は確保済み。

ファンクラブに入ってる友達っていいわね!

え?私?こんなにミスチル、ミスチルって言ってるくせに、ファンクラブ入ってないのよねー。入ってたけど、お金振り込むの忘れて、退会。そのままになっちゃってるのよねー。いやだわー。

26日分を確保しようと、ファンクラブ加入の友達と二人で揃って予約。そう、41歳の夢見る独身女二人で2days狙ってるの。うふっ。

マリンメッセの場合、なかなかチケット確保が難しかったりするけどぉ、でも最悪でも27日は取れてるから余裕よ。うふっ。

アニキに26、27日と帰省命令ださなきゃだわー。かあちゃん一人じゃ、家のことたいへんだものー。

アニキ?極道・長兄の方よ。次兄は自由人のように見えて、自由人じゃないから。

結構、家のことやるのよ~。今回の親子入院騒ぎでびっくりしちゃったわー。意外とマメな面が発覚して。

あ、そんなことはどうでもいいわねー。

 

ま、とにかく楽しみだわ―。

楽しみがある人生にしなくちゃだわー。

 

皆さん、メリークリスマスだわよ。クニマスじゃなくて、クリスマスだわよー。

 

酔っぱらってなんかいないわよー。飲んでないもの。

 

んじゃ、お風呂入ってねます。

2010年12月21日 (火)

老いに化けた…

退院後、本を読んだり字を書いたりするのに目の焦点が合いづらい感じになっていたので、先週、視野検査を受けた。


若干、見えづらい範囲があるという結果で、今日の精密検査となった。


暗室に天体観測みたいで、ドーム型の白い枠内に光が写る。見えたらボタンを押す。


結果、視野前線異常なし。

焦点が合わない一番の原因は老眼と考えられるとのこと。


ガチョーン!


手術の後遺症も嫌だけど、老眼も嫌〜〜〜〜〜っ。


確かに同級生たちが老眼の眼鏡をかけはじめている。

ド近眼だから老眼なんて当分は心配ないと思っていたら、ド近眼は老眼になりやすいらしい。ほどよい近眼なら老眼になりにくいらしい。


かっちょいいフレームを選んでもレンズはビン底で、結局渦を巻く。そして老眼は早く来る…。


何の得もなし、ド近眼。


誰もが行く道、通る道。仕方ねえずら。

2010年12月16日 (木)

みんな生きている

父が退院します。


色々あったが、ようやく我が家でのこれからの「日常」が始まる。


それは新たな「日常」であり、父が倒れるまでの「日常」とは絶対的に違う「日常」である。


それでも、それでもやっぱり、生きてて、そして生かされてて、生きていることが嬉しい。


父も、私も…。生かされた。つくづくそう思う。


父は身障者2級となった。介護度は4。


手帳を見た父は泣いた。


私は泣くことはないと言う。何も悪いことはしていない。今まで懸命に働き、まっすぐに生きてきた。


ただ単に体が思うように動かなくなっただけ。


ただそれだけだ。


私は、胸を張って、と言った。


それでも父は泣く。


気持ちはわかる。


ともすれば私もそうなっていたかもしれない。


それでも、生かされた。


よかった。ただそれだけだ。


確かにこれからの「日常」は簡単じゃないかもしれないね。誰かの手助けがないと動くことすらできないものね。


でも歩いていこうね、前を向いて。


泣かなくていい。


胸をはろう。


私も、胸をはろう。


生きていれば、きっと楽しいことも、嬉しいこともある。


必ずある。


それを楽しみに生きていこうね。

2010年12月 7日 (火)

鳥だ!飛行機だ!

いや、すーぷーまんだ!

 

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おおきに!おおきに!おおきになぁ!

 

療養中でも、2月のミスチルコンサート(2days)に行く気は満々のスーパーこめこより

2010年12月 3日 (金)

人生いろいろ ~悲しみも喜びも~

また放置ブログ化。

人生って、ほんと、色々あるもんだなぁとこの数カ月つくづく感じた。

 

7月23日、社労士受験の1か月前に、父が脳梗塞で倒れた。右脳がやられて、左半身麻痺の体に突然なった。現実が私には受け入れられなかった。雲の上をふわふわ歩いているような、まるで夢の中にいるような、そんな日々が続いた。いつも頭の中で「嘘だろう?」と思ってた。現実についていくのが必至で、勉強なんて二の次、三の次だった。

それでも現実は容赦がない。最初の1週間は病院に私と長兄が交代で泊まり込んだ。父の麻痺はひどく、高次機能障害といって、脳へのダメージが視覚や思考や言語への障害となって現れる症状も伴った。父の場合は、それが視覚に現れ、父にとって捉えることのできる視界は通常の3分の1であろうということだった。視覚ではなく、見えてる世界がすべてとしかとらえることができない、と言われ訳が分からなくなった。自宅で生活することも難しい、歩く可能性すら否定された。それを告げられたのが試験の1週間前。

泣くことでこの現実がよくなるわけではないと思いつつ、この1か月は、一人でよく泣いた。泣かずにはおられなかった。

試験の2日前には仕事関係の方が亡くなり、前日は通夜のお手伝い。本来なら葬儀までお手伝いするべきところの立場でもあり、それだけ可愛がってくださっていた方だった。

1か月、勉強もせず、心も揺れまくった私は、受験を止めようと、落ち着いたらまた来年受けたらいいと考えていた。「受けろ」と言ってくれたのは父であり、母であり、兄であり、友人たちだった。「せっかく頑張ってきたんだから」「受けないと受からない」などと励まされ、前日の最終のJRに乗って熊本へ向かった。

試験終了後、またダメだったなーと率直に思ったが、試験が終わってなんだかホッとした。試験が終わった後に安堵感を味わったのは初めてだった。やっと父の介護に専念できると思った。なんだかんだ言いながら父の看護と受験勉強との間に挟まれて、私の神経は完全に逆立っていたのだ。

試験が終わって、父も同じ病院内にあるリハビリを中心とする病棟に移され、少しは落ち着くと思った。だが落ち着く暇もなく、今度は事務所の移転。9月の連休に合わせて引っ越し。代休をとる暇も有給休暇も取ろうと思っても、4月から新しく入った上司では対応できないことが多く、休みが取れない状態になっていた。

10月に入り、「休んでないな」「疲れたな」と思うことが多くなった。

そう感じ始めた10月17日、ひどい頭痛と吐き気で自分が倒れた。脳動脈瘤の破裂でくも膜下出血。倒れたのは自宅。母が入院している父のところに行っていなかったから助かった。救急車で運ばれたのは父の入院している病院。

もうろうとする私の目の前に現れたのは、父の主治医。不思議と死ぬとは思わなかった。それより「麻痺残るんですか?」と聞いたのを覚えている。正直、「父と二人で麻痺になるのだけは勘弁だ。それはきつすぎるだろう?」と思った。

主治医は「わからない」と答えた。それから私はかなり動揺したらしく、鎮静剤を入れられてそのまま意識がなくなった。

結局、私と父は同じ病院に入院することとなった。入院の翌日が手術だったが、術後の2日目くらいまであんまり記憶がない。

術後2週間経つまでは脳梗塞と同様の症状が現れ麻痺が残る場合があるらしく、2週間は安静を強いられたが、強いられるまでもなく、痛みがひどかったので、動くこともできなかった。

2週間を過ぎるころには痛みも治まりだしたが、脳をいじってるために脳内ホルモンのコントロールがうまく行かなかったのか、尿の量が調節できず、1日に7リットル出すこともあった。(一般的な尿量は1.5~2リットルだそう)

4週間、尿のバルーンと点滴に繋がれたまま過ごした。それでも痛みがなくなっていくのがわかり、麻痺もしびれもない自分が回復していっているという実感があった。

回復している途中、吉報が届いた。社労士試験合格の通知だった。

全くあきらめていて、合格発表すら忘れていたところへの通知だった。母が郵便物を病院に持ってきてくれて、封を開けてみて、「合格」の二文字を見たときは号泣した。母も号泣。二人で号泣しているところに入ってきた看護師はびっくり。理由を告げたら、それが病棟の職員に知れ渡り、回診にくる院長も主治医も看護師たちも「おめでとう」と大勢で祝ってくれる嬉しい日となった。

院長は私が知らせるより先に、リハビリ病棟にいる父に合格を知らせる珍騒動ともなった。

脳卒中で、しかも時期を近くして、しかも親子して運ばれるパターンはそうそうなく、おまけに年初めに父が前立腺がんで手術していた。私自身にもあんまりいいことがあると思える年ではなかったので、逆に「年末ジャンボ宝くじ」が億単位ででも当たるんじゃなかろうかと思っていたが、そんなものよりもっといい「合格」が降って湧いてきた。

退院して1週間。今、私は元の生活に戻ることができた。年内は休職できるよう、別の部署の上司が色々手配してくれた。役員や上司、同僚には本当に迷惑をかけた。そして色んな気遣いをいただいた。ただひたすら感謝である。

父の退院は私の日常生活に対する体力の回復を待つだけとなった。年末年始は自宅で家族で迎えられそうである。

 

さあ、今から本格的な介護の始りである。

一言で今の気持ちを表すと「不安」である。

職場復帰も「不安」、自分の体力減退も「不安」、父の介護も「不安」、母にかなりの過労が伴っていることも「不安」、頑張ってしまう自分に対する「不安」

さまざまな不安が付きまとっている。不安が時々イライラに変わる。こういうストレスが一番、傷に障ると思ってはいるけれど、どうしていいかわからなくなるのである。

のんびりしたいと思っているけれど、父を早く自宅へ戻さなくてはとも思う。退院後、仕事も既に呼び出される。のんびりしたいと思っていても、焦る自分と急かされる現状があるのが辛い。

どうやって乗り切ればいいか、ただただ「不安」なのである。

「不安」を「安心」に変えるためにはどうしたらいいか。それを見つけていかなくちゃならんなと思い始めたところです。

家族でまた笑って過ごせるようになれたらいいな。心からそう思う。